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  • hucchy

自由をこの手に!


商社にいた時代、一期下の後輩「S君」との話。



彼が僕より半年前位にジャカルタに赴任し、その後私も駐在員として赴任しました。


当時は二人とも20代後半。



1997年ですので、まだ韓流アイドルなどもなく、20代後半の我々”日本人”は「モテモテ」でした。(^-^;



仕事が終わる17時も待ちきれず、16時くらいからオフィスの冷蔵庫にあるビールを「プシュ」と開けてカンパイ。

それから、ご飯を食べて、飲み屋に行って、ディスコに行って、夜中の2時過ぎに帰る毎日。。。



朝はしっかり8時に出勤しますので、20代めちゃくちゃ元気でした。



そんな楽しいジャカルタ駐在員を過ごしてましたが、1998年に「アジア通貨危機」が起こり、事態は急変。

債権の回収やらなにやらで走り回ってたのですが、1998年5月「ジャカルタ暴動」にまともに出くわす事件が起こりました。


我々の事務所はコタ地区という華人のエリアにありました。


この時は分からかったのですが、この暴動は現地のインドネシア人が華人(チャイニーズインドネシア人)を排斥する運動でしたので、

我々がいるエリアはとても危険だったのです。



何やら大通りの方が騒々しいので後輩のS君と見に行きましたら、大規模なデモ行進が行われています。



平和ボケ日本人の私たちですから、その様子を呑気に電話で日本の本社に報告してましたら、何かが飛んできます。


「なんやろ?」と振り向くと、デモ参加者を見物している若者たちが我々に向かってを投げてきました。


当たらないように投げてきているのですが、さすがにこれは危ない…


後輩のS君と「ヤ、ヤバイな…」と言ってたら、インドネシア人のおっちゃんが一人でこっちにやってきました。



「お前ら何人(なにじん)や?」




「え?あ、僕ら日本人です」




日本人かいな!お前ら中国人やと思われて石投げられとんねん。ワシの後について逃げろ!!」



と言って、脱出を助けてくれました。



(;´∀`)




無事に事務所に逃げ込んだも束の間…



事務所の裏から「ヤンキー軍団」が現れ、なにやら叫びながら太鼓を叩いてやってきました。



太鼓の音が鳴りやんだ途端、彼らは一斉に我々の事務所があるビル棟に石を投げこんできました。


ガラスは割れ、車(他社の車)も燃やされています。。



周りには何十人もヤンキー軍団がひしめいていました。


:(;゙゚''ω゚''):




そんな中、我々を守ってくれたのが、ドライバーのおっちゃん達でした。


おっちゃん達がヤンキー軍団を追っ払ってくれ、大通りのデモも軍が戦車を投入した為、ようやく収まりましたが、

それまで10時間以上事務所から出ることもできず軟禁状態でした。


そこから我々も逃走です。


チャイニーズ系の事務所スタッフは、チャイニーズ系のホテルへ。

我々は日系ホテル「プレジデントホテル(現、プルマン?」に逃げ込みました。


ホテルもいっぱいで、ロビーやレストランも戦時中のようでした。


部屋も一部屋しか空いてなかったので、後輩と二人でほとぼりが冷めるまで待機です。



ただ、我々は華人エリアにいたために大変でしたが、日系企業は大通りでも安全なエリアにありますので、

我々のような恐ろしい経験をしていません。


当時の日本大使もホテルにやってきて、「みなさん、大丈夫ですか?気を付けてくださいね」みたいな感じでした。

その内、大使館からホテルの部屋に「危険度レベルを1にしました」みたいな案内が入ったので、

我々の経験を大使館に電話で伝えたところ、2時間後に「期限度レベルを3にしました」という案内が入りました。


※電話したら上がる危険度レベル... (*ノωノ)



その後も街の様子を見に行きましたら、街のあちこちでインドネシア現地人がたむろしています。


前を通ると、「おい、ちょっと待て!」と止められます。



「お前、何人や?」



「日本人や」 (; ・`д・´)



「ふーん、ホンマに日本人か?中国人なら今ここでボコボコにするぞ」



「ホンマに日本人や」 (; ・`д・´) (; ・`д・´)



「ほんなら、日本の◎◎いう会社知ってるか?どこにあるか言うてみい!!」 ( `ー´)ノ



みたいに、絡まれまくりですが、日本人が今までインドネシア人に対して誠実に向き合ってきたのか、

「日本人」と分かると笑顔になり、友達のように接してくれました。



これは我々は先輩方(戦前戦後の日本人)に感謝せなあかんな…と後輩と語ったのを覚えています。




戦後独立を目指したインドネシア人、そして1998年のインドネシア人も自由を求めて戦いました。



その後輩も最近サラリーマンを辞めてフリーランスとして独立しました。




彼も「自由」を手に入れたわけですが、ここからが大変。


でもオモシロイ。




頑張れよ!(^O^)/  

















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